公益財団法人ベネッセこども基金

活動実績

【サイエンスキャッスル教員向け特別セミナー】子どもたちの「自分研究」から始まるD&I

よりよい社会づくりにつながる学び支援

公益財団法人ベネッセこども基金が協賛する、株式会社リバネス様主催の「サイエンスキャッスル」関東大会・東北大会において、教員向け特別セミナー「身近に取り組むD&I研究のススメ 〜ダイバーシティ&インクルージョン(以下D&I)研究とは、 自分を研究すること〜」を開催いたしました。

東京大学先端科学技術研究センターの熊谷晋一郎先生がD&Iの基礎知識について、そして狛江市立狛江第三小学校特別支援学級担任の森村美和子先生が、学校生活や子どもたちの活動の中で身近に取り組めるD&I分野の研究についてお話しくださいました。東北大会の特別セミナーより、ダイジェストでご紹介します。

2023年度には、中高生の研究を助成する「サイエンスキャッスル研究費D&Iチャレンジ賞(仮称・※1)」を設置予定です。

※1:サイエンスキャッスル研究費D&Iチャレンジ賞とは、マイノリティな環境や状況に置かれている中高生が自分にとっての理想を実現したり、課題を解決する方法について探究する「自分研究」の活動に対して、研究費とメンタリングで応援するプログラム。研究者がメンターとして研究のプロセスをサポートすることで、研究に不慣れでも研究を推進できる体制を構築します。

ダイバーシティ&インクルージョンとは何か

一人目の登壇者は、小児科医でもある熊谷晋一郎さん。現在は、「当事者研究」という取り組みをテーマに研究を進めています。熊谷さんのお話は、ダイバーシティ&インクルージョン(D&I)についてのお話からスタートしました。

ダイバーシティ&インクルージョンは、"多様性"と"包摂"と訳されます。多様性は、いろいろな背景、心身の特徴を持った多様な人が集まっている状態。包摂は、その多様な人々が平等に選択肢を与えられ、「自分は組織に帰属している」という所属感を感じられる状態のことです。

この違いを、ヴェルナ・マイヤーズというアメリカのアクティビストは、「多様性とはパーティーに招かれること。包摂とはダンスに誘われること」と表現しました。この表現は比喩ですが、ダンスに誘われるためには二つの条件、"公平性"と"所属感"が満たされていなければなりません。これらが満たされたとき、D&I、特にインクルージョンが実現していると言えます。

"所属感"とは、仲間として、対等なメンバーとして属しているという感覚のことです。では、"公平"とはどのような状態なのでしょうか。ノーベル経済学賞を受賞したインドの経済学者アマルティア・センは、「公平な社会とは、"できる範囲"の平等が実現された社会」と定義しました。つまり、「選択できる範囲が平等に分配されている社会」「機会の平等が与えられた社会」です。

障害だけでなく、LGBTやジェンダーなどさまざまな多様性がインクルージョンの対象になります。ここからの説明は主に障害を例にとって説明しますが、他のダイバーシティの領域についても応用が可能です。

障害の"医療モデル"と"社会モデル"

私は、生まれたときから脳性まひという身体障害を持ち、電動車いすで生活をしています。1970年代は均質性が目指される時代でした。私のような子どもは健常者に近づけることで幸せになり、社会も持続可能になると信じられていました。毎日5、6時間に及ぶリハビリ訓練は、痛い記憶、辛い記憶として残っています。しかし1980年代に入り、そのようなリハビリにはほとんど効果がないことが証明されました。

多くの人々は「障害は本人の体の中にある」と考えがちですが、これは古い考え方で "医学モデル"と呼びます。これに対して、80年代に新しく打ち出されたのが"社会モデル"です。アンフェアな社会環境の中にこそ障害があるという考え方です。

"社会モデル"では、障害は皮膚の内側(その人自身の内部)ではなく、皮膚の外側の社会環境(建物、道具、人間関係、制度など、人的物的・制度的・文化的な環境)に宿っていると考える。

"社会モデル"の考え方は非常に重要です。社会は中立ではなく、一部の人----健常者、男性、異性愛の人、民族的なマジョリティなど----にとって有利にできています。しかし、多数派と少数派は入れ替わることも、昨日まで健常者だった人が障害者になることもあります。

実際、コロナによって手足が不自由な大学生はオンラインで随分授業に参加しやすくなり、障害の度合いが下がりました。その一方で、障害とまでは言わないレベルで集中力に困難を抱えている学生が単位を取れなくなることも増えました。このように、昨日まで障害者ではなかった人が、体は全く変化していないのに、社会の変化によってある日突然、障害者になることは珍しいことではありません。

自分の色が変わらなくても社会の色が変われば少数派から多数派になり、障害が消えることもある。

「当事者研究」が"社会モデル"を変えていく

では、社会モデルをどのように変えればよいのでしょうか。車椅子に乗っている私のように周りから見える障害の場合、段差を無くす、スロープをつけるなど、社会を変える方向性も具体的にわかります。しかし、自閉スペクトラム症や発達障害など、一見人と違いがないように見える場合は、何に困っていて、どうしたら助かるのかが見えづらく、本人も自分が何に困っているのかわかりづらいものです。

このように、見えにくい障害の問題を考えるときのキーワードが"解釈的不正義"です。例えば、「産後うつ」や「セクシャルハラスメント」などの言葉ができるまで、女性はそのような経験を個人的な問題や気のせいとしてやり過ごしていました。日常の言葉は、男性向けにカスタマイズされているからです。このように、言語が多数派向けにできていることで損をする、不利になる状況を、"解釈的不正義"と呼びます。

この"解釈的不正義"を乗り越えるためには、少数派の経験に合う言葉を新たに生み出し、広めることが重要になります。「当事者研究」や「自分研究」は、自分の経験にピッタリと合う言葉、表現を生み出し広げていく活動です。社会モデルの考え方を、言葉や表現の領域にまで広げたものとも言えます。

「当事者研究」では、自分がどのような経験をし、どのように感じ、何を大切にしているのか、人生の物語や自分史を表現し、共有します。そのことにより、"解釈的不正義"を是正し、先にお話しした公平性に寄与するだけでなく、所属感にもよい影響を与えます。つまり、D&I、特にインクルージョンの実現につながってゆくのです。

「自分研究」として子どもたちが取り組む当事者研究

これまでの熊谷晋一郎さんの話を受けて、二人目の登壇者である公立小学校特別支援学級担任の森村美和子先生が、学校生活や子どもたちの活動の中で身近に取り組めるD&I分野の研究、「自分研究」についてお話しくださいました。

「当事者研究」の小学生バージョンとして、特別支援学級の子どもたちとの共同研究という形で「自分研究」に取り組みました。今日は、実際の子どもたちの研究についてご紹介します。「自分研究」は、同じ悩みや課題を持つ仲間と困っていることを研究し、対処方法を考えたり、実験(実践)したり発表したりする試みです。

これは、子どもたち自身が困っていることをキャラクター化する研究です。タイプ別に分け、イラストにして分析していきます。

例えば、「ふあんタイプの泣き虫ゴースト」を見てみましょう。このキャラクターがどんな特徴を持ち、どんなときにどんなことをするのか、また、その特徴が見られる時間帯、天気に相関があるのかなども客観的に研究し、書き出します。

そして、自分で分析した結果について、グループでブレインストーミングをします。仲間たちと対応方法のアイデアを出し合い、カードを作ります。そこではさまざまな対応方法が出てきますが、実際にこの子が選んだカードがこちらの4枚です。

そして、自分で選んだ対応方法を実際に生活の中で実践してみます。1週間後に振り返り、うまくいかなければほかの対応方法に変えます。うまくいかなくても、自分を責めなくてよいということも大切なポイントです。

「自分研究」を通して、子どもたちは、自分と困りごとを切り離し、自分を責めることなく、安心して困ることができるようになりました。また、対応方法についても仲間達と楽しく考えることで、必要な時には周りにヘルプを出せるようになっていきました。

「自分研究」を仲間や社会に役立てる

こちらは、別の研究事例です。この研究に取り組んだのは、4年間、学校で一言も話さなかった緘黙のお子さんです。絵を描くのが好きで、自分を研究し、絵で表現してくれました。

私の学級では、それぞれの子どもたちが得意を生かして会社経営をしていました。アイデアを思いつくのが得意な子は「アイデア会社」、ピクトグラムが好きでシンボルマークを作ることが得意な子は「デザイン会社」を作りました。

このお子さんは、言葉にできなかった自分の気持ちをイラストにして、たくさんのカードを作り、「相談会社」を始めます。そこへ、保健の先生が相談にやってきました。「話すのが苦手な子が保健室に来たときに、どうやって話をすればいいか悩んでいます」という保健室の先生の相談に、このお子さんは自分の経験を活かして、「気持ち絵カードを作ってみてはどうでしょうか」と提案しました。

話すのが苦手でも、自分の体調や気持ちに近いカードを選ぶことで、保健の先生に自分の経験を伝えることができます。これはまさに、先ほど熊谷さんがお話しされた、"解釈的不正義"の是正につながります。自分の経験を表すことからスタートした「自分研究」ですが、その取り組みが学校の他の子どもたちにも、保健の先生にとっても役に立った実践でした。

実際の保健室には、「たいちょうきもちっぷ」という絵カードの一覧が貼り出され、保健室を訪れた子どもたちが利用している。

このように、「自分研究」に取り組み、自分自身の経験を言葉や絵に表すことで、それがいろいろな人の役にも立つという経験をすることができました。また、「しゃべれない」という人とは違うことが、価値にもなったのです。彼女は自信をつけ、所属感を感じるようになりました。

また、特別支援学級では、イスや読み上げペンなどさまざまな支援グッズを使用しています。現在は、不登校のお子さんがアバターロボットを使って授業や学校行事に参加しています。それらの道具を学校で実際に使いながら、使い心地についても研究を進めています。

実際に使ってみた感想や改良点についてアイデアを出し、記録します。道具や環境に自分を合わせるのではなく、道具を自分にカスタマイズするために、その道具を開発している会社に使い心地を伝え、商品開発に役立てるべく提案をしているのです。

そのほかにも、「障害はどこに宿るのか」という研究を、自分達の経験や実感を活かしながら熊谷さんと一緒に進めたこともありました。

「研究」では、実験や実践の失敗も次の成功につながります。仲間がいれば、一人では気づかなかった発見もあり、ワクワクできます。それぞれが好きなことや得意なことを活かしながら、研究を進めることができます。特に、「自分研究」に関しては、誰もが先駆者であり、それが人の役に立つことを子どもたちは実感しています。私にとっても新たな発見の連続です。

先ほどの、4年間学校ではひと言も話さなかったお子さんが、ある日、私にこんなメッセージカードをくれました。そのカードには、「だれでも世界はかえられる」と書いてありました。

自分を知ることができる「自分研究」。その研究の成果を仲間や社会に役立てることで、インクルージョンを実現できる世界に近づけていくことができます。自分をまず大事にすることからD&Iは始まるのだと思います。

熊谷晋一郎(くまがや・しんいちろう) さん

1977年山口県生まれ。東京大学先端科学技術研究センター 准教授、小児科医。東京大学バリアフリー支援室長。新生児仮死の後遺症で、脳性まひに。以後、車いすでの生活となる。東京大学医学部医学科卒業後、千葉、埼玉の病院に小児科医として勤務、東京大学大学院医学系研究科博士課程での研究生活を経て、現職。専門は小児科学、当事者研究。2010年、著書『リハビリの夜』で第9回新潮ドキュメント賞受賞。共著『発達障害当事者研究』『つながりの作法』、監修『特別な支援が必要な子たちの「自分研究」のススメ』などがある。

森村美和子(もりむら・みわこ) さん

東京都公立小学校の特別支援学級教員。教育相談コーディネーター、学校心理士。小学校教諭として知的障害学級、通級指導教室で実践を重ねる。2012年に熊谷晋一郎准教授と出会い、教育の場での「自分研究」を新たな実践としてスタート。早稲田大学教職大学院で学びを深めた後、現職。2017年度文部科学大臣優秀教職員表彰受賞。主な著書に『特別な支援が必要な子たちの「自分研究」のススメ』、『特別支援教育をサポートする ソーシャルスキルトレーニング(SST)実践教材集』(共著)、『発達障害のある子の社会性とコミュニケーションの支援』(共著)がある。

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