コラム
「違い」が、教育の質を高める。カナダの教育で磨かれる子どもの人権意識
コラム:「こどもの権利」VOL.1 マセソン美季
長野冬季パラリンピック金メダリストのマセソン美季さん。現在はカナダに在住し、障がい者スポーツの普及とインクルーシブな社会の実現に向けた活動に取り組んでいます。
体育教師を目指していた大学時代に交通事故に遭い、車いすユーザーとなったマセソンさん。カナダでは、三重のマイノリティ(アジア人・女性・車いすユーザー)ですが、多様なニーズを考慮して社会がデザインされているので、ほとんど不便を感じることはないと言います。
カナダは色々な国から来た移民たちによって構成されるモザイク国家。公用語の英語とフランス語以外にもさまざまな国の言葉が飛び交い、多様性が当たり前に受け入れられています。人々の人権意識やアクセシビリティ*の高さにも驚かされてきたというマセソンさんが、カナダの生活で感じてきたことを2回にわたって、ご紹介します。
*「アクセシビリティ」とは...
障がいの有無に関わらず、幅広い年齢の人々が、社会的インフラ、施設、設備、製品、サービスにスムーズにアクセスし利用可能なこと。
マセソン美季さん
子どもが変われば、社会が変わると考え、スポーツの力を活用した教育プログラムを通し、インクルーシブな社会の構築を目指している。DEI(多様性 公平性, 包摂性)コンサルタントとして、講演、セミナーの開催、研修プログラムの構築、経営戦略の設計などを行う。長野1998冬季パラリンピック金メダリスト(アイススレッジスピードレース)。国際パラリンピック委員会理事。カナダ在住。ベネッセこども基金 理事。
車いすユーザーでも、やりたい仕事を諦めなくていい国
子どもの頃から教員に憧れ、大学では教員免許を取得しました。けれど在学中に思いがけず事故に遭い、車いすユーザーになりました。当時は、歩けなければ教員になるのは無理だと言われ、パソコンの資格を取るか座ったままできる事務仕事など何か別の仕事を探しなさいとアドバイスされました。
やりたい仕事をすることは難しく、受け入れてくれる職場を探すしかないのだ......と知り、とてもショックを受けました。
しかし、私はどうしても諦められませんでした。当時、車いすマラソンの国際大会に出場する機会があり、そこで出会った海外選手たちに片っ端から、どんな仕事をしているか聞いてみることにしたのです。そこで世界各地には、私と同じ車いすユーザーが、教員はもちろんホテルリゾートの経営者や航空管制官など、自分のやりたい仕事に就き、活躍していることを知りました。世界に出て自分の可能性を探してみたい、そう思った私は大学卒業後、米国に留学をすることに決めたのです。
米国では、自分にも人権があると感じる機会が多くありました。そして、環境や周りの人の意識次第で障がいの受け入れ方は大きく異なること、「社会が障がいを生み出す」という考え方があることを知りました。「人権意識」や、「アクセシビリティ」という分野にも強く興味を持った留学時代でした。
その後、結婚しカナダに移住してからは、障がいのある方の人権やスポーツと教育に関する仕事をしてきました。私はカナダでは日本にルーツを持ち、車いすユーザーの女性でもあるという三重のマイノリティですが、不利だと感じたことはありません。それは多様な特性を受け入れるように社会がデザインされ、人々の意識も醸成されているからです。
カナダでの生活は、今まで身につけてきた「当り前」の感覚が、ゆっくり溶かされていくような日々でした。私には大学生と高校生になる2人の子どもがいます。カナダでは子育てを通して、教育が人々の人権意識に与える影響を実感することも多くありました。
自分の特性を周りに受け入れてもらえる環境が、人権意識の第一歩
子ども達がカナダで教育を受ける中で、印象的だったことをお話したいと思います。
カナダにも日本と同じようにADHDなどの発達特性のある子はたくさんいます。そして子ども達は自分に特性があることを隠したりせず、とてもオープンに話す印象です。
学校では、幼稚園から高校まで、特性がある子ども達一人ひとりに、IEP(independence education plan)という、子どもと接する上で助けになる情報がまとまった資料が、毎年引き継がれていきます。IEPには、子どもが効果的に学習できる最適な環境など、具体的な支援方法が細かく書かれています。
例えば目の前に掲示物や動きがあると集中できない子の場合、最適な状態でテストが受けられるように掲示物のない壁に向けて席を配置する。識字障がいの子の場合は、文字の大きさを16ポイント程度に拡大し、筆記体に変換した配布資料を準備する、などの細かい対応が引き継がれていきます。
子ども達自身も、自分のIEPの内容を理解していて、中学や高校になれば、先生や周りの友だちにも「自分はこの方がやりやすい」と自ら伝えられるようになります。
また特性がある、なしに関わらず、先生たちに指導の引き出しが沢山あるように感じています。面談では「家庭でうまく機能している方法はありますか?」と聞かれる機会があり、それを学校でも取り入れたり、先生からも「集中力を高めるために、この方法を試してみようと思うのですが」と提案もあり、その情報を基に毎年IEPが更新されていきます。
カナダでは個々の特性を、ネガティブなものとしてとらえることがないと感じます。
特性の有無に関わらず、自分のことをオープンに話すことができ、当たり前のように周囲に受け入れられる安心感は、自分の人権を担保するための大事な一歩だと感じています。
カナダの小学生が「人権とは何か?」と聞かれたら
カナダでは、「人権意識が子どもの頃から磨かれている」と感じる出来事もありました。
子ども達がまだ小学生の時、ふと気になって「人権って何だと思う?」と聞いたことがあったのです。すると息子は、「空気みたいに誰にとっても当たり前にあって、全ての人が幸せに生きられるように守ってくれる権利」とサラッと答えてくれました。
「当たり前にあるものは、なくなったとき初めて気付くんだ」と、さらに説明を続けてくれました。
そして「人権を守る」とは、全ての人がその人の能力を発揮できるように条件を整えたり、不当に制限しないようにすることから始まる。私たちは「心の目」で見た「本当に大切なもの」が侵されないように行動していくことが大切なのだ、と教えてくれたのです。
学校教育を通して、自分で実感して磨かれてきた感覚だからこそ、このように言語化できるのだと感じて、とても驚いたことを覚えています。
「違い」に触れる機会が、教育の質を高める
子ども達が小さかった頃は、先生たちに頼まれてボランティア活動をしていました。プリントを印刷したり、掲示物の手伝いをしたり、仕事の合間をぬっては学校に出入りし手伝っていました。実は、そんな活動の中で唯一気が進まなかったのが、絵本の読み聞かせのボランティアでした。
なぜ、英語のネイティブスピーカーではない私が、ネイティブの子ども達の前で読み聞かせをするのか、嫌だったのです。
どうして私が?と先生に聞いてみると、「だからこそ、お願いしているんです。カナダは移民が20数%もいる国です。外に行けば、自分と同じような言葉を話す人ばかりではないことに子ども達が気づく良い機会になります」と、説明されました。
当時、住んでいたのはアジア人は超マイノリティという環境で、学校で人種の違いに触れる機会は殆どありませんでした。
「あなたが読み聞かせをすることで、教育の質が高まることに繋がるので、ぜひ協力してほしい」と頼まれた私は、これはやらなければ!という前向きに取り組むことができました。先生たちの中に、違いを尊重するという考え方がしっかりと根付いている、と感じた出来事でした。
活動の中で、私は、「○○くんのお母さん」として認識されていましたし、車いすという目に見える特性ではなく、「日本語ができる」という点を私の特徴として捉えている人が多かったのが印象的です。地域で自己肯定感を高めてもらえたような経験でした。
マイノリティが活躍する社会は、「自己肯定感」を高めてくれる
マイノリティが活躍できる社会に整えることには、とりわけ「自己肯定感」を高める点で良さがあると感じます。
学校の教室でも、先生は生徒たちの個性を無理に修正して、標準的な基準に合わせようとすることはなく、個性を伸ばすように指導する姿が印象的です。勉強ができる子だけではなく、スポーツができる子、音楽が好きな子、お友達と仲良くするのが得意な子、一生懸命努力できる子など、様々な側面から子ども達に賞を贈る機会を作り、自信をつけようとする場面があります。
できない事を指摘するのではなく、圧倒的に認める場面が多いのです。その中で子ども達の「自己肯定感」が育っていきます。
私もそうだったように、誰もが病気や事故などで、社会的にマイノリティになる可能性があります。たまたまマイノリティの属性だからといって、不利益を受けるのは勿体ないことだし、マイノリティが活躍できる社会に整えることは、マジョリティの人や全ての人にプラスになると私は考えています。
構成/柳澤聖子