コラム
自分らしい人生を全うできるように支援する、カナダの「子どもアドボカシー」
「子どもアドボカシー」という言葉を聞いたことがありますか。 カナダのトロントを拠点に活動する菊池幸工さんは、30年以上にわたり、社会的養護を受けるカナダと日本の子どもたちの国際交流を支援してきました。 その経験から、菊池さんは「子どもアドボカシー」によって、子どもたちが変化し、人生を力強く歩み始める姿を何度も目のあたりにしてきたと言います。
一般的に「子どもアドボカシー」とは、子どもの権利条約の重要な原則の一つ「自分の意見や考えを表明できる権利」をサポートするために、子どもの声を聴いたり、代弁したりすることだと言われます。
しかし長年にわたり、子どもの権利擁護に携わってきた菊池さんは、「子どもアドボカシー」とは、もっと広い意味で、子どもが成長していく中で自分らしい生き方を取り戻し、人生を全うできるよう支援することだと考えるようになりました。
長年にわたる子どもたちの国際交流の軌跡と、カナダでの子どもの権利擁護の仕組みについて菊池さんに伺いながら、「子どもアドボカシー」への理解を、前編と後編の2回にわたって深めていきます。
菊池幸工(きくち こうこう)さん
カナダ・トロント大学修士課程修了。1986年にカナダのオンタリオ州トロントに移住。菊池コンサルティングサービスを立ち上げ、現在は、ソーシャルワークや「子どもアドボカシー」の研究・国際交流・執筆などを行う。
国・州・市、何重もの人権法で守られる「権利」
― カナダの「子どもの権利」を守る法律や仕組みについて簡単に教えてください。
私が住むカナダ・オンタリオ州のトロントは、多様性に富んだ都市です。住民のおよそ44%が、公用語の英語とフランス語以外を母語としていて、半数近くは移民です。民族の数は200を超えると言われていますし、まさにカナダは多文化主義の象徴ともいえます。この多様性に対応するため、人権を守る法律も整備されてきました。
国レベルではまず「カナダ自由と権利の憲章」および「カナダ人権法」が差別の禁止や人権の保護を徹底して規定しています。また、オンタリオ州には「人権法典」があり、トロント市では、それらの法律に基づき、教師や警察官などの公務員に人権に関する教育や研修を行うなど、人権を守る施策を実行しています。このように重層的に人権を擁護する法律や施策が整備され、それによって政治が行われています。
1980年代には、カナダで児童虐待が大きな社会問題となったことを受けて、子どもの権利擁護システムが整備されました。その代表的な機関の一つが「子どもアドボカシー事務所」です。
こうした取り組みは、1989年に国連で採択された「子どもの権利条約」に先駆けるものだったと言われました。
― 日本の「子どもの権利」に関する法律はどうなっているのでしょうか?
「子どもの権利条約」は、世界中の子どもたちが、安全な環境で、自分に自信をもって幸せに生きていくための権利を定めた国際法です。また、それを守るために国や自治体、親、施設職員、教師などの大人たちの責任も規定しています。
日本が「子どもの権利条約」に批准したのは、1989年の採択からだいぶ遅れて1994年、世界で158番目のことでした。それ以来、子どもの権利を守る取り組みは進んでいきましたが、2019年に日本は国連子どもの権利委員会から「差別の禁止」「子どもの意見の尊重」「体罰の禁止」などの緊急課題について勧告を受けました。日本には児童福祉法や、教育基本法、児童虐待防止法など個別の法律はありましたが、「子どもの権利条約」の精神に基づく基本法が長く存在しなかったのです。
しかし批准から30年近くたった2022年に、ようやく「子ども基本法」が成立し、2023年4月に施行されることになりました。
法律にすることで、子どもが安心して幸せに生きていくための権利を、国や自治体、学校や家庭などで生かしていける社会になることが期待されています。また日本の子どもの権利擁護システムを整備するうえでも、カナダの「子どもアドボカシー」の姿勢から学ぶことは大きいと思います。
― 社会的養護を受ける子どもたちに、特に「子どもアドボカシー」の姿勢が必要という点についても教えてください。
親と一緒に住むことができない子どもたちは、社会的養護制度のもとで管理された生活を送ることになります。多くの場合、話を親身になって聞いてくれる人や深いつながりが不足しますし、自身の気持ちや些細な要望を伝える機会が乏しいことがあります。また、ほとんどの施設では18歳になると施設を出されてしまうために、自立の準備が不十分な子どもも多くいます。このような状況の中で、厳しい生活を強いられ、希望を失ってしまう社会的養護の若者も少なくありません。そういった若者たち自身に、安心して生きていく権利や、意見を言える権利があることを伝え、実際にそうできるようにサポートし続ける「子どもアドボカシー」の姿勢は極めて大切だと思います。
― こういった厳しい状況を変えていくために、カナダの若者たちはどのように政府に働きかけたのでしょうか?
社会的養護を受ける子どもたちの「親」というのは、「州政府」になります。 オンタリオ州では、この状況を変えるために、社会的養護の若者たちが自分たちの生活経験の実態や本音を丁寧に聴き集めてまとめ、「公聴会」を開いて、本来の「親」であるべき州政府に対して直接訴えることにしました。そのために若者たちは、企画から宣伝、進行、メディア対応まですべてを自分たちで担当する「公聴会」プロジェクトを立ち上げました。このプロジェクトを通じて若者たちはつながり、自分たちのコミュニティを形成することにも成功したのです。
2010年2月には、オンタリオ州議事堂内の委員会室で児童福祉制度の改革を訴える公聴会を開催し、州議会議員、担当省大臣や官僚、児童福祉の現場職員、一般市民も、若者たちの声に耳を傾けました。
「アドボカシー事務所」は、こういった若者たち自身が主催する活動も、全面的にサポートしました。
「自分たちの声には価値がある」という姿勢の若者たち
― カナダと日本の社会的養護の若者の違いで驚いたことはありますか?
初めてカナダの若者たちが、日本に来た時のことです。 大阪弁護士会主催の交流会に、若者たちが招待され出かけていったとき、そのうちの一人が驚くべき発言をしたのです。彼女は、かつてストリートキッズをしていたけれど、支援を受けて様々な困難を乗り越えてきたという生い立ちがあります。 その彼女が弁護士たちに会うやいなや、「今日、私たちの話を聞いてどんな行動を起こそうとしているのですか。もし話だけ聞いて何もする気がないのなら、私たちは今すぐ帰ります」と言い放ったのです。彼女を取り囲む若者たちも、「そうだ、そうだ!」と同調し、皆が堂々とした態度でした。 通訳をしていた私は、この言葉をそのまま訳していいものか戸惑い、同時に彼らの堂々とした態度にショックと感銘を受けました。
― カナダの若者の堂々とした主張の背景には、何があるのでしょうか。
弁護士たちはすぐに話し合い、若者たちを納得させて無事、交流会は行われたのですが、私には重要な事を教えてくれた出来事でした。 彼らの生い立ちから考えると、これまで大人たちに正当に扱われず、見下されてきた経験があったのかもしれません。だからこそ、彼女の言葉には、「自分たちの声には価値がある。そして声を聞いたからには行動を起こす責任が大人たちにはある」という強いメッセ―ジがこめられているように感じました。それくらいの覚悟をもって、自分たちの声に向き合って欲しいと彼らは考えていたのかもしれません。
子どもが声を出し、自分らしく歩むことを支援する「アドボキット」の存在
― 「自分たちの声には価値がある」という姿勢を持てる背景には、どのようなことがあると思いますか。
本人ではないので想像の範囲になってしまいますが、彼女が声を出すことを応援し続ける人がいたのではないでしょうか。 特に「アドボキット」という存在も大きいと思います。「アドボキット」とは、子どもの話を聴き、問題が解決するまで共に行動する「アドボカシー活動」を担う専門家のことです。 彼らは通常、表に出ることはなく、子どものサポートに徹します。例えば、施設内で子どもが虐待を受けたとします。「アドボキット」は、子どもから問題について話を聴き、子ども自身が、大人に伝えられるようにアドバイスするのです。「あなたのいる組織内には苦情受け付け制度があり、利用方法はこうなっているから、まずこの窓口に苦情を言ってみよう」というようなことをアドバイスし、当事者である子ども自身が解決する力をつけられるように支援します。状況によっては、子どもの希望を確認したうえで、一人で伝えるのが難しければ一緒にいく、代わりにやるという対応をすることもあります。でも、子どもの気持ちを無視して勝手な行動はしないのが原則です。
― 子どもたちを支援する「アドボキット」の存在は大きいですね。「子どもアドボカシー」という言葉を、菊池さんは、どのように捉えていますか。
「子どもアドボカシー」は、とても幅広い意味を持つ言葉です。元々は、大人が子どもの声を聴き、本人が言えないようなことを代弁することから始まりました。 代弁するということは、子どもに何か解決してもらいたい問題があるにもかかわらず、それを聞いてくれる人がいない状況です。そこで、アドボキットが子どもの声を聴き、問題が解決するまで継続的に支援していきます。 さらに、「子どもアドボカシー」は、社会的養護の若者たち自身が集まって声を上げ、「公聴会」を開いて、政府に直接働きかけるまでに発展する可能性を秘めています。実際に制度を変える力さえ持っているのです。
私は「子どもアドボカシー」によって、子どもたちが自分たちの力で、自分らしい道を歩み出す姿をたくさん目にしてきました。 子どもたちは皆、将来就きたい仕事や歩みたい人生があります。アドボキットは、その実現を妨げる障害を取り除き、子どもがそれぞれの希望する道を歩めるように支援します。そのため、私は「子どもアドボカシー」を、単なる代弁にとどまらず、より広い意味で、子どもが成長していく中で自分らしい生き方を取り戻し、人生を全うできるよう支援することだと考えています。
「後編」では、カナダと日本の子どもたちの国際交流で、実際に起こった子どもたちの変化についてお届けする予定です。
また2024年7.8月には、ベネッセこども基金と認定NPO法人ピースウィンズ・ジャパンが、日本とカナダの若者たち(児童養護施設の子どもたちを含む)が交流する会を主催し、菊池幸工さんにもコーディネート・通訳・研修などの支援をしていただきます。自分の意見や将来の希望をはっきりと伝えるカナダの子どもたちとの交流で、日本の子どもたちにどのような変化が起こるのか? その様子は秋以降にお届けの予定ですので、ご期待ください。
構成/柳澤聖子