助成団体紹介
能登半島地震で被災した子供の居場所づくりとケア
のと復耕ラボ
令和6年能登半島地震で被災した子どもの学びや育ちの支援活動助成 活動報告
- 団体名
- のと復耕ラボ
- 代表者名
- 山本 亮
- 事業名
- 能登半島地震で被災した子供の居場所づくりとケア
支援地域/支援対象者/活動期間 活動地域や支援対象者の状況 支援の内容・方法 成果 考察
支援地域/支援対象者/活動期間
■活動地域
石川県輪島市
■支援対象者
小学生、保育園児
■活動期間
2024年2月14日~6月25日
活動地域や支援対象者の状況
■支援時の状況
輪島市の源流部である三井町では被災した子供たちは現在10km以上離れた街中の小学校や保育所に通っている状況である。
現在、輪島市内の高校にて小学校の放課後児童クラブが再開されたが、利用時間が5時半までである。
地理的な問題からも、仕事をしている親の迎えが間に合わず、利用をしない選択をする保護者が大半である。
また、グランドなどが仮設住宅の用地として使われていくことが決まり、これまで外遊びの場として機能していた場所が失われていく。そのため、子どもの過ごす環境の悪化や親の負担が増える恐れがある。
支援の内容・方法
①こどもの居場所づくり
【対象者】
輪島市で避難所生活をおくる未就学児~小学生 約30名
【期間】
2024 年3月11日~2024年6月25日
【場所】
輪島市立三井保育所
【支援方法】
12月末まで保育所として機能していた「三井保育所(現在は物資支援の拠点)」において、子どものための居場所を確保して、放課後などに子どもが過ごせる環境を用意した。
主に平日の学校が終わる15時頃から18時半頃までの見守りを行い、土日及び春休み、GWは保護者及び子どものニーズによっては一日中開設した。
【実施者】
現地スタッフ及び外部からのボランティア
②子どもが野外で遊び学べるイベントの運営
【対象者】
輪島市で避難所生活をおくる未就学児~小学生 約30名
【期間】
2024 年3月1日~6月30日
【場所】
輪島市三井町内の山林や農地など
【支援方法】
外遊びの機会が減ることが予想される子どもたちに対して、源流部だからできる里山を活かした体験活動やた団体が行う地域イベントにおいて子供がより楽しく過ごせるようにするための企画を行った。
【実施者】
現地スタッフ及び外部からのボランティア
■実施頻度、回数
① 76日
② 計4回
第1回:3月3日 地域の餅つきイベントでの子供の遊び場設置
第2回:3月17日 三井小学校の卒業イベントでの食事会の企画運営
第3回:4月27日 美術の専門家との屋外アート体験
第4回:5月5日 こどもの日のBBQイベント
■告知方法
①② 当団体サイト、SNS、避難所での声かけ
成果
6月25日の輪島市の学童の再開まで子供の見守り活動の場として「みんなのこども部屋@三井」を運営した。
特に子供たちにとっては、「いつものゴールデンウィークより楽しい!」「ここに来るのが楽しみ」といった言葉が出るほど、災害によって学校や保育所、学童といったもともとの居場所が失われたり、ストレスがかかる子供たちに安心して、楽しく過ごせる環境を提供できた。
三井地区は全校生徒で20名以下と小規模校であることからもともと学年を超えて仲がよく、家族のように過ごしてきたことから、学校機能などが街中に集約化されて大人数の運営にならざるを得なくなった際に、それによって友達が増えて楽しい部分がある一方、これまでの年の離れた友達と遊びにくい、遊ぶスペースがないといった課題が生まれていた。さらに親御さんの中には場所がかわったことによって仕事後の送迎ができなくなってしまった家庭も発生していたため、そうした行政施策の網目からどうしても抜け落ちてしまう方たちを支える場ともなった。
また、横が避難所で子供たちの元気な声がすることは避難中の高齢者にとって嬉しかったと避難所の運営リーダーから評価された。
考察
学童に無事に引継ぎが行われたが、みんなのこども部屋ではOKにしていた外遊びができなくなってしまったりとまた新たな課題が発生してしまった。そこに対して私たちの活動に深くかかわっていたNPOの職員が夏休みに子供たちの外遊びを促すためのプレイカーを走らせる企画を始めた。
また、ほかにも開設中には三重の伊賀忍者体験やお菓子作り体験、体育学生による運動体験など様々な企画を他団体が提供してくださり、こうした場があることによって子供たちが安心して、楽しく過ごせるだけでなく、様々な支援やつながりを呼び込む機会となり、子供たちにとっても体験や遊びの幅の広がりや田舎では得にくい様々な価値観を持った大人と接する機会ともなり、小さくても場を設けることの大切さを感じた。
逆に当初想定してた里山体験や敷地外に連れ出した外遊び体験については、土砂崩れやひび割れなども残る中だったため、敷地外での活動に対して家族によって意見が異なり、小規模だからこそ行ける子と行けない子が発生してしまうことによる企画の難しさを感じた。